スティーブ・ジョブズの人生は人間的魅力と熱と裏切りと芸術にまとまる

【タイトルとあらすじ】

「映画 スティーブ・ジョブズ」2013


2011年に死去したアップルの創設者、スティーブ・ジョブズの生涯を描く。大学を中退し禅や仏教に傾倒しながらも、無為の日々を送るジョブズは、親友のウォズニアックの趣味であるコンピュータに興味を持つ。2人は友人たちの協力を得て世界初の個人向けマシンApple Iを商品化。


パソコンは芸術だ。見えないところが美しい。

印象的な映画の幕開けだった。

ジョブズは自作したパソコン(macの前身)を街の電気屋に卸したいと交渉している。
交渉は難航する。名も知らぬ小さい会社の青年がパソコンを売りに来たら誰だってそうする。当然だ。

ではこれならどうだと提案した納品方法がすごい。
いわゆるパソコン本体ではない。
”基盤パーツ”だけを店に置いてもらった。基盤パーツ。

普段は目に見えない部分。しかし、それすらも美しさを求めた新たなパソコン革命。
洗練されたデザイン性。

「これだけで世界は変わる」と。

「死ぬまで炭酸水を売りたいか、俺と世界を変えたいか」

ジョブズの凄さは引き付ける力にあると思う。
マーケティングの天才であるジョンスカリー(コカコーラの社長)を引き抜いた
殺し文句は上記の通り、狂気の沙汰である。

会社の描写として、日本と違うなぁと感じた部分は、
アメリカは株主があんなに王様席でミーティングに意見言うんだね。ってこと。
会社は株主のものというインパクトが日本人の私にとって衝撃的。

また「ビルゲイツがパクった」て描写においては、なんであんな電話で馬耳ったのかな?と気になった。
映画 ソーシャルネットワークでも同じ描写あったな。ビジネス系映画特有の圧。

アシュトン・カッチャーの象徴的な演技

特に主人公役のアシュトン・カッチャーの狂気じみた演技は好きだ。
ていうか俳優の顔めちゃ似てるな!CGで加工しているのかな。

あの歩き方まで演技なのか。つま先から足についてひょこひょこと歩く。
小学校の時にいる 歩き方が幼稚なやつ 偏平足になるぞと親に注意されるやつだ。

アップルはジョブズのワンマン企業なのか。次の世代に期待

「誰も守ってくれなかった」

孤独だったんだなー
彼は根っからの開発者。ずっと現場派だったんだね。
下手に天才経営者を自分の右腕なんかにもってきてしまったからおかしくなった。

異分子はこないほうが反乱にならなくてええんやなー、って思った。特に外資は。

戦友がやめたとき、創業時の”基盤”を作ってた2人が、離れたときも同じ描写があった。

ただただ僕たちはクールなおもちゃを作りたかっただけなのに

しかし、”会社”になったことでおかしなことになったのだ。

日本ではあまりないと思うけど創業者が威厳をなくし失墜して去る。

反逆されて居場所を失ったジョブズ。

その後のジョブズは一度クビになってから少し丸くなった感をだしてるね。
もしくは家族が増えたからなのか。家庭重視って大事な思考だと刷り込んでくる。

奇抜で斬新な発想は仕事猛烈社員だけにしかできないわけじゃない。
家族をやしないつつも革新的な業務ごなしはできるんだよ。

筆者の務めている会社にも猛烈上司いるけど、家族ともっとふれあえよ、と思う。

(不満をぶちまけてすみません。。)

仕事に精を出す       ⇒ 出世
仕事にも家庭にも精をだす  ⇒ 出世
の世界になればいいのにな

映画終盤の描写
再度会社に戻ってきたジョブズ優秀なは若手社員(デザインディレクターの青年)との会話をする。

「なぜまだ残ってる」

「なぜまだアップルに残ってる」の答えを探して。

クリエイティブだと答える若手社員。

そうか、若手社員はアップルの理念をまだ信じてるんだ。

理念は受け継がれているんだ。

なんでもいいからクリエイティブなものを作れと。

アップルは「身体の一部にならなければならない」んだと。

デザインディレクターとジョブズがずっと語り合ってる姿を見ると、
この2人いやきっとアップルの全社員は芸術を作っているんだ、アーティストなんだと思う。

今後もコンピュータに色があってほしいと願ってる。

#SNSの反響・盛り上がり↓

最後に作中のプチっと名言をどう

「クレイジーな彼らこそが世界を変えられる」

ラストシーンの名言。この彼らとは、まさに初期で付き合ってた創業時のメンバーのことを言っている。

そうさ、ルールなんてくそくらえ。

現状に満足していない。それがパワーだ。