東京砂漠。孤独な群衆のなかの俺。どっちだろう、泣きたくなる場所は

【あらすじ】

メデイア理論『孤独な群衆』 英: The Lonely Crowd


1950年にアメリカの社会学者・デイヴィッド・リースマンによって発表された著作である(共著者ネイサン・グレイザー・リュエル・デニー)。

社会性格論という分野を打ち立てた著作として有名である。

リースマンはまず社会が機能するためには社会の成員が社会の中で担っている役割を遂行することを促すような性格の重要性を指摘する。


2つマルをつけて ちょっぴりオトナさ。

「おすすめされる」ということ。人に合わせて生きるということ。

まずは前説のこちら記事を読んで頂くと理解がスムーズです。

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現代に至り、通信や交通が目覚しい発展を遂げ、社会の変動はますます急激になってきた。

社会学者のリースマンは現代人における性格類型として他人指向的性格といった考え方を唱えている。

昨今の心理ゲームや心理本の流行は、 この「他人志向型」性格が求めたものかも知れない。

代表的な他人指向型の例として、

「こんにちの社会では人気を得るためには適当な音楽的好みを表現する能力のほうが、楽器を上手に演奏する能力より大事なこととなってきている。ちょうどこれに相当するのが、レコードのコレクションであるように思えた。つまり、レコードを集めることによって、ティーンエイジャーは自分の属する集団への帰属の感情を持つことが出来るし、また、最新流行のメロディーを口ずさむということがその子供の人気を確保する手段なのである。さまざまな曲はじぶんの仲間を意味する。あるいは仲間のひとりであるということを意味する。あるいは、仲間の思い出を意味する。同時にこれらのティーンエイジャーは『正しい』好みを持つことをたいへん気にしていた。」

(『孤独な群衆』デイヴィッド・リースマン67ページ)

がある。なんか渋谷の女子高生が頭に浮かんだ。想像できる。他人を気にして生きている。自分に自信がないから誰かにすがるのかなぁ

「都会の人ごみ」と「果てない草原」どっちが泣きたくなるのかな、富樫先生

「この商品を買った人は他にこんな商品も買っています」Amazonで人気No1です

「アマゾン」にもこういった特性が存在する。

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アマゾンを利用した多くの人が経験したことのある「この商品を買った人は他にこんな商品も買っています。」といった表示である。

おすすめされたことでそれらの商品以外には目が行きにくくなってしまう、つまり選択肢がやんわりと(しかし現実に)狭められている点が重要になる。

勧められてない商品を他所で見つけて選ぶ権利はまだあるのに、「選択肢をせばめている」「自由を制約している」ということ、そして「さりげなく」ということがポイントになる。   的を絞り、集中させることで、選択をさせる。

本人の意思とは関係ないところでそういった大衆操作がおこなわれ、扇動しているとすれば、われわれはどうやって生きていくべきか?

すなわち、人が本質的に社会的な存在だというならなおさら、

周囲の人々のふるまいの影響が自分自身の考えよりも大きく、行動の動機要因になるのではないか、ということである。

終わり

ここからはブログ管理人の私的解釈を記します。

「らしさ」の証明。何のために生まれて何をして生きるのかアンパンマン

群衆に埋もってしまうこと。その他大勢

大人になるにつれて、『肩書き』が重要になってくると言われる。

「~大学の○○」とか「~会社の○○」とか。今後のグローバル社会的に広く言えば「日本人の○○さん」などだ。

いやいや、まず「あたし」を見せなさいよ!、I am!   って叫びたくなるようなことが出てくるんじゃないかな。君の名は?

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みんな自分(個性)を出したいと願う。

たとえば、次にパソコン買うならwindowsじゃなくてアップルだなとか、海外旅行するならあえてマイナーな国に行くとか、左利きの練習をする心理とか、とんがった高校生が金髪に染めちゃうことだとか、家族みんなが中日ファン、だ・か・ら・こ・そ、当時万年ビリだった阪神ファンになったりした心境だとか、結婚できるんならお相手はもう20歳年上だ!(ちょっと言いたい意味と違うか)とか。

「違い」は生もうと思えばまぁ意外とできるんですけど、他人との相違は気になるところ。

自分の身長が抜群に低いことも個性的と前向きにとらえるかい?(笑)

大多数の他人とは絶対的に異なるもの。

存在の証明。

マニアやオタク達が生まれる背景ですか?

あぁぁ、、、俺は俺だー!的な。リースマンがいう「孤独な群衆」。

ノーマルな物をデコレーションでアピっちゃう感じ。おそらく「~キャラ」みたいにしちゃう、されちゃう原因。

流されたくはない。

自分の意見を持っていたい。

ちっちゃな反骨心。   特別でありたい、他者と違っていたい、個人でありたい。

「らしさってなに?」

でも社会は残酷にも強制してきて、出る杭は・・・。親方、空から金づちが!!

俺の友達にも同じ就活時期にみんなが同じリクスーで大移動してて、型にはまってることに違和感起こして就活に吐き気を感じてた子いたしな。

(そんな彼はメガバンク内定を辞退して、他大学院の哲学科に進むらしい)

他者と違うことはハミられるのか、個性溢れてるとどっちでとられるかはわからないけど、「素敵」なことだと思うし、世間がそういった個人で作られる群衆であってほしいなと思う。 よし・・ならお、おれも内定辞退をしてだな、中田英寿のようにせ、世界を放浪して・・・生きたいように・・・・・・ってできないッス!

サーセン!

自分はまだまだそこまでの断固たる決意と周りの目を気にしないへっちゃらソウルは持ってないようで。(泣)

でもどこかで「らしさ」は持っていたいな、って思うのだ。

社会的性格とは個々人の性格に由来するのではなく、社会環境に由来するものであると考える。

つまり社会的性格は社会の情勢に応じて変化するものであり、人口成長期、過渡的成長、初期的減退という人口変化を指標とするような社会変動に応じて

社会的性格は伝統指向型から内部指向型、他人指向型へと変化すると論じている。

伝統指向型の社会的性格ははっきりと慣習が伝統によって体系化されており、恥に対する恐れによって人々は動機付けられている

しかし内部指向型の社会的性格となると社会の成員は権威者または保護者の教育によって道徳律が刷り込まれ、人々は罪の感覚によって動機付けられる

そして他人指向型の社会的性格においては行動の規範よりも対面する人々に限らずマスメディアを通じて知る人々を含めた他人の動向に注意を払ってそれに参加する。