昨夜、いや正確に言えば一時間半に及ぶ大会見は日付を跨いで行われたので、今日という方が正しいかもしれない。
イチローの引退会見が行われた。
ある意味サプライズで、ある意味「やっぱりな」という日程だったので、イチローが引退正式発表なんてつゆ知らず、寝床についたおじさんたちも多かろう。
会見を最初からリアルタイムで血眼になって見た私が最初に感じだのは、
イチロー当人と会場には隔たりがあったように感じた。
一対数百である。
リアルタイムじゃなくて、のちの報道まとめインタビュー版を見た人は知らないだろう。
イチローが何度か繰り返した、「スベり」、を。
「僕、変なこと言ってますか?大丈夫ですよね?」
真顔で言うイチロー。少し間が空く。戸惑うメディア。
これは日本だから起きた感覚なのか?アメリカでよくやってるインタビューだったら、アッハッハと笑いも起きつつ、ムードが出てくる所も、
日本國では沈痛な、静寂な神聖な会見の中に、溶け込まれていった。
まさに、イチローの玉音放送である。
前述のように、人懐っこくみんなとからみたい、ユーモアを持って笑顔で会見に臨んだイチロー。
はたや、あんな盛大なセレモニーの後、世界から愛され、独特の感性を持つ生きる哲学者、崇拝されるアイコンとなってしまっている、
イチローを目の前にした、記者たち。
これでは笑いは起きない。
(ちなみに、昨日の試合中の放送でも、アイコンやメンターという単語は、とあるイチローの先輩から繰り返し言われていた。そう、長谷川である。
長谷川の言ってたことが今わかった。
イチローは日本ではどんなアスリートなんですかと聞かれた際、長谷川は
「彼はアスリートを超えている、
日本の精神的なアイコン、メンター、神のような存在になっている」
と答えたそうだ。
言い得て妙である。もう野球選手の括りではないのだ。)
つまり、神に対峙するメディアの人。
だから、不思議な雰囲気の会見となったのだろう。
イチローのあっけらかんとしたような問答、性格は昔から変わってないように思う。
私自身が子供の頃、『イチロー物語』という本を見たことがある。
これはまだイチローがオリックスに居た頃の、特に210安打打った近辺の、イチローとは何者かというような単行本だった気がする。
そこには彼が生まれてからどう考えどう行動し、学生時代はどんなキャラでどう過ごしたのかなどが書いてあった。
意外とおちゃめなんだな、
と、感じたことを覚えている。
世間的にはイチローは仏頂面で、えらそうに語る、所謂社長タイプの人間かと思われている。
しかし、イタズラ好きのちょっと大人の本にも興味が出ちゃうような、ふっつーの高校生だった頃があった、
というのは僕ら一般人からすると安心する。親近感が湧く。
私も野球を9年やってきた身です。
同郷の愛知県です。
僕らの青春時代のヒーローは間違いなくイチローです。
平成から始まった、思い出、平成の最後に、乾杯。
(こんな晴れやかな金曜日は、酒を飲もう。)
まとめ
・一弓は健在で、もう18歳になること。ヨボヨボでも懸命に生きてる姿がイチローの励みになっていたこと
・昨年の5月に本来なら辞めるタイミングであった。この日本開幕2連戦までの延長?の契約でなんとかこの日を迎えたらしいが、不振でさらなる延長は出来なかったようなニュアンスがあった
・監督向きではなくて、生涯プレーヤーだということ。中田に通ずる所があるか。管理職を拒む研究社員にも似てる。さすが哲学的野球選手。
・小林君とは仲がいい