サブリミナル(潜在意識下)に訴えかける。無意識で操られるイメージ戦略

【あらすじ】

社会心理学『サブリミナル・インパクト』


現代社会は過剰な刺激に満ちている。直接快楽を刺激する音楽と映像。絶え間なくメッセージを投げかけるメディアやコマーシャル。それらは私たちの潜在脳に 働きかけて、選択や意思決定にまで影を落とす。が、私たちはそれを自覚しない。意識下にある情動・認知系への介入は、意識レベルでは認識されないからだ。 本書は、「情動」と「潜在認知」に関わる認知神経科学の知見をもとに、現代の諸相をつぶさに検証、創造性をもたらす暗黙知の沃野に分け入って、新たな人間観を問う意欲作。


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心的操作の観点から考えてみる。

行動の帰属先については、祖先から受け継いでいる「動物的本能」と「理性」の2つをを得た人間らしい部分があると考えられる。

人々の行動や選択、評価を分析していく上では潜在的な心の動きが影響を与えているという考え方である。

「意識に上る前に、そして理性的な判断が働く前に、からだの生理や記憶が反応してしまうこと」

(『サブリミナル・インパクト』下條信輔21ページ)

人に流されずに、果たして自分の意思で行動できているのか?  

その行動の起点を考察をしてみる。

自己完結する体。自問自答。碇シンジ

「からだが理性に先立つ。」悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか。

「にわとりの卵」議論ではないが、どちらが先に生まれるのか、明確には位置付けられないものである。

「たとえば山道で突然クマに出くわしたとき、人はどうするか。まず状況を自覚し、冷静に分析し、自分は怖いのだと結論してからおもむろに逃げる人がいるでしょうか。足が反射的に動いて山道を駆け下り、人里に辿り着いて一息ついてから恐怖が込み上げてくる、という方が普通なのではないでしょうか。あるいは逆に、理屈では「逃げなくては」とわかっているのに、足が凍りついたように動かないとか。火事や列車、飛行機などの事故に巻き込まれた被害者も、同様でしょう。」

(『サブリミナル・インパクト』下條信輔89ページ)

人が恋愛感情を抱く時、よく見かけるからますます好きになったという話がある。

これも無意識下で働く心的作用のひとつである。会うたびにだんだん好感を持つようになった、初めよりも印象がよくなっていくこと、これを単純接触効果と呼ぶ。

企業CMの露出が多い商品にも同じ原理は言える。  

それはある意味、一種の行動の結果の理由、動機付けであり、「これだけよく会う(見る)相手なのだから自分はこの人に好意があるに違いない」と自身の考えを肯定していくのであり、これは見たり聞いたりすることで作られる潜在記憶が、印象評価に誤って帰属されるという、知覚的流暢性誤帰属説で説明されている。

先ほどあった、泣くから悲しいのかという命題に関しても

「私はなぜ泣いている?それは悲しいからだ。」

といった具合に、ここでも自己完結がおきていると言えるのである。

「刷り込まれる」ということ。イメージ戦略

イメージ戦略というものは誰にでも、どこにでも利用されているものである。

「現代社会は選択肢を狭め、誘導する方向に動いている。選択を行動として誘発し、しかも「さりげなく」「気づかれないように」誘導するという点に現代コマーシャリズムの特徴がある」

(『サブリミナル・インパクト』下條信輔199ページ)

また政治で使われる「ワンフレーズポリティクス」などにも、このさりげない刷り込みの効能が現れているのである。たとえば9・11事件の折もマスコミらによって報道された情報は一方向であったが、偏った「イメージ」だけが心に残った。

「経験したことによるなじみ深い感じ(親近性)は残っても、どこでどのように経験したかの記憶があいまいになっている。「イスラムのテロリストは邪悪だ」というメッセージだけが残り、それをそこで誰に吹き込まれたかは忘れてしまうというわけです。」

(『サブリミナル・インパクト』下條信輔216ページ)

人間は意識下においては理性をきかせ行動、判断に移せるかもしれない。

しかし、無意識、サブリミナル(潜在意識下)の中ではわれわれは自らを律することができているのだろうか?・・・

恐ろしい話だ