紺色のコクリコ坂は、東日本震災に向けたレクイエム映画ではないか

【タイトルとあらすじ】

「コクリコ坂から」

昭和38年(1963年)、乗った船が遭難し、行方不明となった船乗りの父と、仕事のためにアメリカに渡ったカメラマンの母を持つ小松崎海は、留守中、小松崎家を懸命に切り盛りしていた。

そのころ、海たちが通う港南学園では、新聞部部長の風間俊と生徒会長の水沼史郎が起こす騒動によって、生徒と教師が翻弄されていた。突如として新聞部によって発表される「ミスター・ミス港南」、物理法則をめぐる風間と水沼の賭け、制服廃止運動をめぐる風間と水沼の対立…。こうした一連の騒動を海は冷ややかに見つめていたが、制服廃止運動の敗北の責任を風間が一身に負わされるのを見て、いつしか海は風間を擁護する声を上げるようになる。風間もまたひたむきな海にひかれ、2人は交際を始める。


同じジブリ映画の評論はコチラにも⇒

「メアリと魔女の花」を観た感想&ポロックからジブリへの感謝と卒業の解説

紺色のうねりが

この映画にはスタジオジブリからの東日本大震災の方へのレクイエムではないかという噂・都市伝説がある。

人生の荒波に立ち向かうということや、

劇中歌の全員で合唱する「紺色のうねりが」

が津波を連想させるといったものである。

真偽は分からないが、手嶌葵が唄う、その音は、確かに聞くものの心を洗い流して浄化してくれるのだった。

トトロや千と千尋のようなファンタジーテイストにはない心の描写。丁寧な一コマ一コマのしぐさ。どうしたらいいか分からない、そんな揺れる感情。

耳をすませばや、海が聞こえるなどの青春群像を魅せるのはジブリのもう1つの十八番。

メロドラマにはさせない、リアルな生き様。

大正・昭和の激動の時代で主人公、いやサブキャラ含めて全ての人がモヤモヤした何かを吹き飛ばしたいと願っている。

突き進みたい。突き進みたいと。

【追記】2020.8

コロナ下の鬱憤とした時代。

コクリコ坂からと自身を重ね、想いにふける。

適当に内容の箇条書き。

・相変わらず料理が美味しそうである。

・終始海ちゃんが可愛いかったです

・海を”メル”と読むのは流行りそう

・親方、空から男の子が・・・!!!と思ったのはあたしだけではないはず

・考古学研究会までの道のり、いろいろとヲタ臭い方々が多すぎて気持ち悪いです

・相変わらずいろいろと細かいカルチェラタンの描写

・水沼君がいちいちたまらない。手に肩!!手に肩!!!!!!エスコート!!!

・青春メロドラマ

エスケープかぁ!青春だなぁ!⬅︎(はぁ?)

SNSの反響・盛り上がり

最後に作中のプチっと名言をどう

紺色のうねりが 飲みつくす日が来ても
水平線に 君はぼっするなかれ