グーグル・アマゾンに支配される?ITに人間は管理されてしまうのか

【あらすじ】


「グーグル・アマゾン化する社会」 森健 メディア社会学

グーグルとアマゾンに象徴されるWeb2.0の世界は、私たちの実生活に何をもたらすのか? 多様化、個人化、フラット化の果ての一極集中現象を、気鋭のジャーナリストが分析・解説。


グーグル先生・・・?先生に賄賂渡してもいいですか?裏口入学

「グ-グル八分」という現象がある。

村八分をもじって作られたこの単語は、グーグルで検索されない場所(サイト)はまるでこの世に「存在しない」かのような位置づけになってしまうという喩えだ。

WEB社会では書き込みで人がつながるほど、リンク先がリンク先を経由するほど、はみ出すものはさらにはみ出し者になっていく

そしてグーグルは何よりわれわれにとって   「半強制的な参加のアーキテクチャー」   であるのだ。

確かに、グーグルやヤフーなどに見られる「検索エンジン」は、われわれと「情報」であるサイトの真ん中に位置し、ほとんどのユーザーは何らかの形で経由する。この強制経路はある意味「誘導」でもあり、情報の一極集中を生みかねない

多額のお金を払い検索に出てくる順番を少しでも前にもっていこうとする企業も存在していることも「情報」を検索エンジンが支配してしまっている事実であるともいえる。

アマゾンのジャングル?ランキングを重視する日本人は迷わない

またアマゾン(Amazon)の場合は、開放された売り場がカスタマーの購買を通じて一種の疑似コミュニティスペースとして、さらに人を呼び込む役割を果たしていることが特徴的である。

中でも重要なものにレビュー、ランキング制度がある。

そこで一番大きな問題になってくるのはレビューやランキングに流されて購買する人もいるということである。とりわけ日本人ほど、世界の中でも「ランキング」を重要視している民族はいないと言われる。

またショッピングなどのランキング順位は外部からの圧力や在庫、購買のトレンドによって、裏で操作されている場合もある。

レビューの発言すら匿名を生かしてその商品会社の社員が賞賛記事を書くことは十分に可能なのは想像できる。

ネットワーク社会とはつまり民主主義である。ネットワーク社会は直接民主主義を実現可能なものにしたと思われるが、

「声の大きな(というかオピニオン・リーダー的な)存在に、意見が左右されやすいという(悪く言えば、「悪貨は良貨を駆逐する」)特徴(というかリスク)を有している点に留意が必要だ」

(『グーグル・アマゾン化する社会』森健208ページ)

となる。

口コミによる一極集中。意見の合わない人の排除。Twitter炎上も匿名が生んだ悲劇の野次馬

現在の社会は、情報のチャネルなどがどんどん多様化しているにもかかわらず、一極集中が見られており、その原因にインターネットが深くかかわっているのではないかといわれる。web2.0社会になると、情報の接し方においても、いろいろ社会に影響を与えることになるだろう。

意見の合わない人を排除し、自分の意見のあった人同士で極端な思想に走るという集団分極化が進んだり、発言権の大きい人(オピニオンリーダー)の意見に引きずられてしまうといった現象が起きたりと、結果的に一極集中現象が起きることになる。

そして今ネット上においてこのオピニオンリーダーはグーグルでありアマゾンであるかもしれないのだ。「一極集中」や「誘導を誘発せざるをえない」ものであり、「みんなで作り上げていく社会」のデメリットの部分でもある。

ただこれは考え方によっては「みんなで作り上げていく社会」のメリットになる部分でもあると考えることもできる。 たとえば、かつてはマイナーだった日本画に再び注目が集まっていることについて、鑑賞者の感想が瞬時に広まるCGM(Consumer Generated Media)が果たしている役割というものは大きいだろう。

やはりみんながいいという「口コミ」は参考になるからだ。    

ただ、J・スロウィッキーは著書『「みんなの意見」は案外正しい

   参考記事☞『「みんなの意見」は案外正しい』を読んで多数決の正しさの証明ができる

の中で、 適切な状況の下では、人々の集団は、その中で最も優れた個人よりも優れた判断を下すことができることを指摘しているが、よく考えれば、適切な状況を考える以前に、もともとの問題の萌芽がなければ議論も始まらないのだ。

誰も知らないことを発掘するような仕事があってこそできるわけで、その道はなかなか険しいものであるのだ。